2020


ーーーー 12/1−−−− 差し掛け作り


 
我が家の建物は、上から見ると中央部で北側に45度の角度で折れ曲がっている。その屈曲部は、奥まった空間になっており、有効に利用しづらいスペースとなっていた。雨が降ると地面に水が溜まり、湿地のようになる、ちょっと陰気な感じの場所でもあった。そこに、屋根をかける作業を行った。

 そのスペースの端には勝手口がある。勝手口の上には、十数年前に三畳ほどの屋根をかけた。施工は全て自分でやった。その時にもっと屋根を伸ばして、奥まった空間全体を覆うようにすれば良かったと、今になって思う。しかしその当時は、初めての試みであり、上手く行く自信も無かったので、必要最小限の大きさの屋根にしたのであった。その屋根は良い感じに出来上がり、そういうことが出来る自分を誇らしく思ったりした。

 屋根を延長するというアイデアは、度々頭に浮かんだが、実行には移せずに来た。その場所は石油ストーブの煙突が壁から屋外に出て立ち上がっているので、その雨仕舞いをどうするかということがネックになったのである。ところがつい最近になって、屋根を一段低くして、煙突の下に設ければ良いことに気が付いた。なんだそんな事かと思われるかも知れないが、屋根を延長することしか頭に無かったので、そのことに気が付かなかったのである。

 前回の経験があるので、施工はスムーズに進んだ。前回の工事の際に建てた太い柱があるので、それを利用して梁をかけた。梁の先端を建屋の壁に取り付ける部分は、45度の接続になるのでちょっと厄介だが、それもなんとかやっつけた。材木などの資材はホームセンターで調達した。骨組みが出来上がったらポリカ波板を張り、樋を取り付けて出来上がり。計画から完成まで四日間だった。

 屋根をかけると、見違えるほど良いスペースになった。田舎の生活では、出入り口の周囲にこのような差し掛けがあると便利である。濡れた雨具を家に持ち込まずに掛けて乾かせるし、雨の日に洗濯物を干すこともできる。自転車置き場としても具合が良い。ストーブで焚く薪を一時的に蓄えておく場所にも使えるし、玉ネギなどの野菜をぶら下げて保管することもできる。家の周りで使うこまごまとした道具を、雨に濡らさずに備えておくのにも役に立つ。

 こんなに小さなものでも、屋根をかけたスペースが出来上がると、楽しいものである。この屋根の下で自炊をして食べるという、ままごとのような事をしてみたくなった。

 






ーーー12/8−−−  トイレ掃除


 
我が家は二世帯住宅の作りである。台所も洗面所も風呂場も、全てダブルになっている。私とカミさんと子供たちが住んでいた区画は東ウイング、私の両親が住んでいた区画は西ウイングと、空港のような呼び方をしていた。

 両親がいなくなってしばらく経ってから、私は西ウイングの西の端の部屋に寝るようになった。以前は子供部屋の、自作の二段ベッドの上段に寝ていたのだが、万一の場合に運び出すのが大変だという理由で、西の部屋に移ったのである。ちなみにカミさんは東ウイングの東の端に寝ている。夫婦が、家の中の最も離れた部屋に分かれて寝ていることになる。そんなことはどうでも良いのだが、今回の話題はトイレである。

 私は、西の部屋を寝室にしてから、もっぱら西のトイレを使うようになった。このトイレは、来客や泊り客が利用することになっているので、事あるごとにカミさんが掃除をしてきた。しかし、普段は私だけが使っているので、汚れが目立ってくると、自分のせいだと当然ながら思う。そこで最近になって、自分で掃除をすることにした。

 トイレ掃除というのは、一度もやったことが無い身にとってはかなり抵抗感のある作業だが、一回やってみれば簡単であっという間に終わる。そのことに気が付いてからは、けっこうマメに掃除をするようになった。

 私は掃除とか片付けがあまり得意ではなく、従って好きでもない。そんな私でも、トイレ掃除は気に入った。部屋の掃除よりも断然楽しい。何故かと考えたら、おそらく汚いものを綺麗にする落差が、他の掃除と比べて大きいからではないか。やり甲斐があるということだ。しかも定型的な作業で、短時間で終わるから、わずかな努力で大きな効果が得られる。

 トイレ掃除を始めたことを娘に話したら、学生時代から一人暮らしが長かった娘は、「それは良いことだ」と言った。さらに「自分で掃除をすれば、綺麗に使うようになる」とも言った。それはその通りだ。最近は、ちょっと飛沫がかかっても、ペーパーを水で湿して便器を拭いたりする私である。




ーーー12/15−−− 3本ローラーでトレーニング


 
今年の5月に、自転車を改造した。ハンドルをドロップハンドルからフラットバーに変え、タイヤをブロックタイプからスリックタイプに交換した。この自転車、20年ほど前に購入したマウンテンバイクである。購入後しばらくしてから、ドロップハンドルに変えた。それを今回元に戻した形である。

 学生の頃、乗っていた自転車はスポーツタイプのドロップハンドルだった。現在のように、ロードバイクが流行する前の時代である。その自転車で、伊豆半島一周をしたり、京都まで出掛けたりした。そんな記憶があったので、マウンテンバイクのフラットハンドルでは物足りず、ドロップハンドルに変えたのであった。

 そのバイクで、中房温泉まで行ったり、乗鞍岳に登ったりして、それなりに楽しんだのだが、近年乗ることも稀になり、ご無沙汰だった。

 最近になって、日常の生活で自転車を活用すれば健康に良いだろうと考えた。買い物など、ちょっとした用事に使うなら、ドロップハンドルよりもフラットバーの方が使い易い。そして、普通の道路を走るなら、ブロックタイヤよりスリックタイヤにした方が具合が良い。そういう理由で、今回の改造を思い立った。

 以前の部品が保管してあったので、改造は自分でやることにした。ハンドルの付け替え自体は簡単だが、ハンドルに付属しているブレーキと変則装置の調整がちょっと厄介だった。タイヤはネット通販で取り寄せた。リムに適合するタイヤの仕様を決めるのに、いささかの学習が必要だった。ともあれ、改造は終わり、試運転をして上手く出来たことを確認した。

 ところが、実際に買い物などに使うということは、進まなかった。せいぜい数回しかなかった。我が家から町場まで数十メートルの標高差がある。行きは下りだが、帰りは長い登りとなる。それを思うと、どうしても気遅れがする。登り坂なら体力トレーニングにうってつけであるが、辛さの予感が先に立ち、一歩を踏み出せなかったのである。結局この半年間で定期的に自転車を走らせたのは、10分程度で回れる町内会の回覧板配りだけであった。

 せっかく改造した自転車が、出番も無く置かれているのを苦々しい思いで眺める日々が続いたが、突然ある事を思い付いた。自転車を走らせずに、その場でこいでトレーニングをする道具を導入しようというアイデアである。これから冬に向かい寒くなると、道路を自転車で走るのはますます億劫になる。雪が積もれば、走ること自体できなくなる。その場でこぐ道具なら、風が当たらないから寒くないし、天気にかかわらずいつでも使える。

 早速ネットで調べたら、後輪を固定するタイプと、ローラーの上でその場走りをするタイプがあった。それぞれ利点があるようだったが、ローラー式の方が難しく、使いこなすまで熟練を要するようなので、そちらを選ぶことにした。上達する張り合いが無いと、飽きてしまい、長続きしないと思ったからである。

 注文して届いた道具は、四角い枠に3本のローラーが平行に取り付けられている、「3本ローラー」と呼ばれている物である。後ろの2本ローラーに後輪を乗せ、前のローラーに前輪を乗せる。前と後ろのローラーには細いベルトが掛かっており、同時に回るようになっている。単純な道具だが、一見して「これは無理だろう」という印象を与える代物だった。

 自転車を乗せてこいでみたら、たちまちバランスを崩し、ローラーからタイヤが外れて地面に落ち、転倒した。初心者は必ずこうなるそうである。だから、慣れるまでは壁のそばに置き、壁に肩や腕をもたれかけながら使うのが良いとネットに載っていた。壁は片側だけで良く、バランスを崩しそうになったら壁の側に逃げれば良い。そうやって慣れていけば、自立してこげるようになると。道を走っているぶんには気が付かないが、自転車はけっこうバランス良くこぐのが難しいものなのである。

 それでは、自宅回りのどこに奥けば良いか。できれば一か所に置いたままにし、脇に自転車を停めておきたい。いちいち出したりしまったり、自転車を持って来たり片付けたりを要するようでは、面倒くささ故に長続きしないと思ったからである。雨がかからない場所で、自転車と共に置きっぱなしにでき、しかも壁が使える場所となると、候補は絞られた。先日作った差し掛けである。

 壁際は風呂釜給湯器があるので使えないが、屋根を支える太い柱が立っているので、それにもたれかかれば良いだろう。3本ローラーを置いてみたら、ちょうど良い感じに収まった。脇に自転車を置くスペースもある。奥まった場所なので、真冬でも比較的寒さをしのげそうである。玄関のすぐ横なので、アクセスも抜群。近くの野原の景色が見えるので、気分も良い。まさにうってつけの場所だ。実際にその場走りを試してみたら、十分に使えることが分かった。走り始めがし易いように、また万一の脱輪に備えて、両側に足乗せ台を置いた。かくして準備は整った。

 さて、一か月と少し経った現在はどうか。その場自転車の健康活動は順調に進んでいる。毎日朝と昼、食事の後に12分間こぐ。食事後30分以内の運動が、ダイエットには良いそうである。夜は酒を飲むので、やらない。脈は120くらいまで上がるから、有酸素運動としては丁度良い。下半身は筋肉の量が多いので、運動の効果はかなりあるらしい。ローラーは負荷が無く、空回りをしているだけだが、タイヤと比べて直径がぐっと小さいので、予想以上にペダルが重い。こぎ始めは、24段変速ギヤを一番軽くしないと回せないくらいである。タイヤが回り出したら、ギヤを上げて好みの負荷にする。12分間のエキササイズが終わると、ふらつくくらい足が疲れる。しかしランニングのように体重がかかるわけではないから、膝などを痛める可能性は少ないと思う。

 この道具を使って毎日トレーニングを重ねれば、脚力や心肺能力が向上し、また自転車をこぐスキルが上達し、道路を走ってもこれまでとは違った感じで楽しめるだろう。そう思うと、来春が待ち遠しくなる。

 

 

 



ーーー12/22−−− キノコの優等生


 
ちょっと時期外れの話題になってしまったが、今年はアミタケが大豊作だった。アミタケはキノコの一種で、アカマツ林の地面に発生する。マツタケ採りの余禄に持ち帰るキノコとして、私たちの山では一番ポピュラーなものである。発生量の多少はあるが、毎年必ず採集でき、マツタケが採れずにがっかりしても、アミタケによって慰められるという存在である。昨年は降雨が少なかったために、マツタケどころかアミタケの発生も少なく、ダブルでがっかりしたが、今年は過去に例が無いほどたくさん採れた。

 山は広いので、生えやすい場所とそうでない場所がある。例年なら決まった場所に行かなければ、なかなか目に付かない。ところが今年は、いたるところで発生を見た。いつものポイントに行けば、株のようになって群生している。探して見付かったなどというものではない。そこらじゅうに生えているのを、端から摘み取っていくという感じ。ビクはたちまち一杯になり、予備のビニール袋に詰め込んだ。毎日キロ単位で採れた。数日間の合計で、10Kgは採れただろう。

 持ち帰ったアミタケは、カミさんが処理をする。別のキノコが混じっている場合もあるので、まず仕分けをする。それから鍋に湯を沸かして茹でる。そうするとキノコに付着していた松葉などのゴミが取れ易くなる。茹でるとアミタケは赤紫色に変わる。その色の変化で、怪しいキノコと区別できるから安心である。茹でて水で洗ったアミタケを、味噌汁やうどんに入れたりして食べる。おろし大根に醤油で食べるというのも、この地の一般的な食べ方である。我が家では、薄い出汁で煮て、ワサビ醤油で食べるのも好きだ。一回で食べ切れない量の場合は、ビニール袋に入れて冷凍保存する。そうすれば、長い期間楽しめる。解凍しても扱い方は同じで、味が落ちることも無い。

 この秋は大量に採れたので、冷凍庫が一杯になってしまい、ついにカミさんからストップを掛けられた。それでも採ったキノコは持ち帰る。それをご近所に配った。ご近所だけではさばけず、区長とか元区長など、これまでお世話になった方々にも配った。まるでアミタケ外交である。皆さんとても喜んで下さった。山で採ってくる以外に入手方法が無いキノコなので、ある意味希少価値がある。「昔は採ってきて食べたものだ」と懐かしがるお年寄りもいた。

 毎年安定的にある程度の量が採れ、確実に識別できるから安全であり、多く食べても腹に障らず、味に癖が無く美味で、しかもチュルチュルとした食感が楽しめる。「アミタケは、まるでキノコの優等生ね」とカミさんは言う。

 そのアミタケ、美味しいキノコとの評判は知る人ぞ知るものであるが、近年東北地方では収穫量が激減し、幻のキノコとなりつつあるとのこと。






ーーー12/29−−− この一年


 
今年も一年の終わりが迫ってきた。

 この一年は、コロナ感染騒ぎに翻弄された、まったく異常な年だった。昨年の年末、ちょうど今頃に、翌年がこんなことになることを予測できた人がいただろうか? 地震や台風など自然災害なら、昨今その出現頻度も災害規模も大きくなっているので、不安な予想を立てる人がいても不思議は無い。だが、科学が高度に発達した現代社会において、まさか病原体によってこのような世界的大混乱に陥るとは、誰が予想しえただろうか。人類は、自然を思うがままに利用し、人間の活動が地球全体の自然環境まで変えつつある。しかしいったん自然が牙を向けば、かくの如き大事件が勃発すると思い知らされた。

 個人的な出来事としては、まず一番に挙げられるのが、母の最後を看取ったことである。昨年末に体調を崩して入院し、その後退院と転院を重ね、コロナ騒ぎで行き場を失う局面もあったが、最終的に姉のアパートに収容し、およそ二週間後に息を引き取った。6月6日の朝、臨終の瞬間に立ち会ったのは、姉と私の二人だけだった。それは二週間がかりの看取りの、最後のシーンであった。コロナ禍で、病院へ見舞いに行くこともできなかった時期に、姉と二人で付きっ切りで介護をし、最後を看取ることができたのは、得難い幸せであったと思う。

 7月に、十年ぶりくらいで人間ドックを受けた。結果は、健康状態に問題は無かったが、肥満だと言われた。適正体重を10キロ以上オーバーしていると。外見では太り過ぎに見えないが、内臓脂肪が多いので体重が増えているらしい。いわゆる隠れ肥満である。このままでは近いうちに生活習慣病になると脅された。十年間も健康診断を受けなかったくらい健康に無頓着な私だが、そう言われてなんだか不安になった。そこでダイエットを開始した。食べる量をぐっと減らし、運動量を多くした。五ヶ月経って、およそ10キロ体重が減った。スリムになって、身が軽くなり、体の動きが良くなっただけでなく、心も軽くなって前向きに物事に当たるようになった。まるで若返ったような気分である。これは嬉しい変化であった。あと一歩で適正体重となる。最後の決め手は、おそらく節酒だろう。

 稼業の方は、不調であった。コロナの影響と言えるかどうかは分からない。常に低空飛行なので、世の中の気流の影響はあまり感じないのである。2月に、大学山岳部の先輩から、奥様のぶんと合わせて二脚の、ハイバックチェアのお引き合いを頂いた。十数期上の先輩が、私のことを憶えていて下さったとは、有難い事である。ところが、初めてのジャンルの品物なので、だいぶ手こずった。背もたれの角度を調節できるテスト椅子を作って預け、そのデータに基づいて試作品を作り、ゴーサインを頂いたので製作に入ったのだが、年を越すことになった。コロナ禍で移動がままならなかったせいもあり、じっくり時間をかけて計画、設計、試作を進められたのだが、おかげでずいぶん勉強になった。新製品のアイデアも沸いた。その意味では、創作に傾注できた一年だった。

 地域のメンバーで取り組んでいるマツタケ山再生プロジェクトは、7年目にしてようやくある程度の収穫を得た。ただし施業の成果が十分に表れているかと言えば、そうでもない。マツタケの世界の難しさを、あらためて感じさせられた。

 常会長という役職から、国勢調査の調査員を任ぜられた。けっこう面倒な業務で辟易したが、コロナ禍のためこれまでよりは楽だったようだ。調査員手当という臨時収入が入ったので、かねてより欲しかった蕎麦打ち道具を購入した。大晦日は、自宅で年越し蕎麦を打つことにしよう。

 こんな一年だった。

 今年も週間マルタケ雑記をご愛読頂き、有難うございました。 

 皆様に良い新年が訪れますよう、お祈り申しあげます。